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ルートヴィヒ4世(Ludwig IV der Bayern, 1282年 - 1347年10月11日)は、バイエルンのヴィッテルスバッハ家の出身の神聖ローマ皇帝で、上バイエルン公兼ライン宮中伯ルートヴィヒ2世とドイツ王ルドルフ1世の娘マティルダの次男。上バイエルン公兼ライン宮中伯ルドルフ1世の弟。 上バイエルン公(在位:1294年 - 1347年)、神聖ローマ皇帝(在位:1314年 - 1347年)。ライン宮中伯(在位:1319年 - 1329年)、ブランデンブルク辺境伯(在位:1320年 - 1323年)、下バイエルン公(在位:1340年 - 1347年)、ホラント伯、エノー伯、ゼーラント伯(在位:1345年 - 1347年)も兼ねていた。 == 生涯 == 1314年、ルクセンブルク家のハインリヒ7世の死後に二重選挙が行われ、ハプスブルク家からフリードリヒ3世(美王)が、ヴィッテルスバッハ家からルートヴィヒ4世がドイツ王に選出された。フリードリヒを支持したのはルートヴィヒの兄のライン宮中伯ルドルフ1世、ザクセン公ルドルフ1世、ケルン大司教ハインリヒ・フォン・フィルネブルグ、ケルンテン公ハインリヒ6世の4名で、ルートヴィヒを支持したのはマインツ大司教ペーター・フォン・アスペルト、トリーア大司教バルドゥイン・フォン・ルクセンブルク、バルドゥインの甥のボヘミア王兼ルクセンブルク公ヨハン、ブランデンブルク辺境伯ヴァルデマールの4人である。互いに異議を唱えて戦争になり、1322年に行われたミュールドルフの戦いでルートヴィヒ4世がフリードリヒ3世を捕縛、1325年に妥協が成立した。以降、フリードリヒ3世は1330年に死ぬまで共治王であり続け、その死後はルートヴィヒ4世の単独統治となった。1328年にローマへ行き、元老院議員の手により戴冠した。 フリードリヒ3世の捕縛後は領土拡大に専心し、1323年に長男のルートヴィヒにブランデンブルク辺境伯領を授与、自らも1324年にホラント伯、エノー伯、ゼーラント伯領の相続人マルガレーテと再婚した。更に1341年にはケルンテン公ハインリヒ6世の一人娘マルガレーテの夫ヨハン・ハインリヒ(ハインリヒ7世の孫、ボヘミア王ヨハンの次男)を追放、翌1342年にマルガレーテをルートヴィヒと結婚させ、チロル伯領を窺った(ケルンテン公国はオーストリア公アルブレヒト2世に与えた)。 アヴィニョンのローマ教皇ヨハネス22世を異端として廃位し、対立教皇ニコラウス5世を立てるが、1329年にルートヴィヒ4世がローマを離れるとニコラウス5世はすぐに廃位された。1337年にドイツ騎士団にリトアニア大公国、ロシアを征服する特権を与えた。1338年、フランクフルトの帝国議会で、選挙で選ばれた王は同時に皇帝でもあり、教皇の承認は必要ないと決められた。 こうした対応は教皇の反感を招き、強引な領土拡大政策や、帝国議会の同年にイングランド王エドワード3世(相婿でもある)と同盟を結んでおきながら、1340年には中立に切り替え教皇との和解を図ろうとして帝国諸侯にも見放され、1346年7月に教皇クレメンス6世から廃位され、カール4世(ヨハン・ハインリヒの兄)が対立王に擁立された。ルートヴィヒ4世はこれに対抗しようとしたが、翌1347年に死去した。65歳であった。 死後、先妻と後妻の子供達に遺領が分配された為、バイエルンは分裂、チロルはハプスブルク家に奪取され、1373年にはブランデンブルク辺境伯領もカール4世に買収され、ヴィッテルスバッハ家は弱体化してしまった。ちなみに、1400年にドイツ王に選出されたループレヒトはルートヴィヒ4世の兄ルドルフ1世の曾孫にあたる。また、フランス王シャルル6世の王妃イザボー・ド・バヴィエールは先妻との間の次男シュテファン2世の孫(ルートヴィヒ4世の曾孫)にあたる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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